情緒不安定

日記?

友人に忘れられていた。

 

自分としては友人と言えるほど記憶に残っており、相手もそうだと思っていた。

いや、正しく言うとそうではない。

自分でも自信を持って友人だった!と言えるような存在だったか怪しいのだ。

ましてやネットの友人で、2年ぶりに見かけたのである。

自分は忘れられないような印象しか残っていなかったため忘れていなかったが、相手からしたら所詮ネットの友人…いや、ネット上でのただの知り合いでしかなかったのかもしれない。

もしかすると空白の2年の間に色々あったのかもしれない。

自分の印象がただただ薄かった可能性もあるので、誰も何も責めることは出来ないのだ。

それでも忘れられているというのはやはり悲しいもので、再度仲良くしようが1度目の記憶を全て忘れられているため、実質1度死んだようなものか。

もう少し優しく言うならば、二度と以前の記憶が戻らない記憶喪失の人と話しているような感じだろうか?

どちらにせよ、自分が忘れられる立場になってしまったら悲しいものだ。

変に言えば実らない片思いのようなものであるわけだし。

 

もしかするとこの先、自分が忘れる側になるかもしれない。

いつ誰と疎遠になるかも分からない。

「たかがネット、されどネット。」

リアルと違って簡単に縁を切れてしまう脆い関係でしかないのだが、それでも1度関わってしまったならそう簡単に忘れてしまうのもよろしくはないような気がしてしまう。

簡単に切れる存在だからこそ、簡単に繋がることも仲良くなることも出来るのであろう。

それがネットの友人のメリットであり、デメリットでもあるのだが。

 

今後も増えては減るであろう脆い関係を、いつどこまで築くことが出来るのか。

ものすごく不謹慎な気もしてしまうが、

「外出を勧められなかったり、何が正しいのかもすらあまり分からなくて、この疫病が去ったところでこの世はどうなるのか」

なんて考えると少しだけこの世の終わりみたいなものを実感させられる。

 

初めはこんな状況を楽しめるわけない、なんて考えていたし、今も外に出れないことが引きこもりですらストレスを感じるようになってきた。

「楽しむことなんて出来ない。」

そのはずなのに、そう考えていたはずなのに、今のこの状況だからこそ外に出て、普段なら見慣れない世界に出会いたい。その世界に立ってみたい。

 

 

 

夜、赤信号、渋谷のスクランブル交差点の中心で、ただ1人自分だけがその場にいる。

 

 

 

エモい。ロマンしかないでは無いか。

想像すると少しだけ、いやかなりかっこいい。

 

そんな世界に出会えそうな気がする。

まぁなんだかんだ人は居ることは居そうだし、車は普通に通っているだろうが。

ただ、見慣れたはずの世界が、いつもと違うように、いつもなら見れなかった美しさに出会えると思うと、この状況でも外に出たくなってしまう気持ちも分かる。

この状況だからこそ、新しいものに出会いたくなる

というよりかは、少しだけこの世界に希望を持ちたいんだと思う。

普段抑えられていた好奇心が、どうしても顕になってしまうんだと思う。

 

まだこの世は頑張れる。だって美しいのだから。

そんな感じ。

 

 

 

 

 

とはいえ流石にそんな馬鹿な真似はしないが。

コロナだなんだで考えていた遠出の計画が全て潰された。

別に、コロナのおかげで助かったことも無いことは無いので責めきれないのだが、休みがあっても結局することが無くなってしまったし、家から出る気が起きないのでブルーな気持ちにさせられる。

元から外に出るのが好きな人間ではないが、こうも外に出れない理由が作られてしまうとそんな人間でも少し憂鬱な気持ちになってしまう。

断る理由に出来るのは本当に、とても有難いのだが。

最近グラブルばかりしている。

とはいえ未だに十天衆0人、ジョブIVも解放出来ていない超初心者なのだが、途中で放棄していた四天刃のためにまた頑張ろうとしている。

 

慣れないことを続けるのは精神がすり減るな。

あるあるなのかどうなのかは知らないけれど、

自分はとくに潔癖症だとかそういう訳でもないのに、何故か過剰に洗いすぎでは?というぐらい手を洗いたくなることがある。

やり始めたのも気付いたのもここ数年の話だけど、こうなってしまったきっかけが全くというほど思い出せない。

調べたら強迫性障害なるものが出てきたけど、そこの例に当てはまるほど酷いものではなかった。

どうでもいいことだけ几帳面な性格だからそれが出てしまっているのか。

それが強いこだわりであるのならば、少し当てはまっているのかもしれない。

 

そんなことを考えながら眠る、12月の終わりが見えてきた朝だった。

昔は好きな人がいたのに、今は好きな人が出来たとしてもどうしていいのか分からなくなる。

以前のことのせいで性行為はともかく、キスすらトラウマになっている自分がいる。

それよりも怖いのが、友人に戻れなくなってしまうこと。

それが本当に怖すぎて、もう誰も好きになってはいけないという気持ちにさせられてしまう。

そもそも性行為がトラウマになっている時点で、もう誰とも上手くいけない気がしてしまう。

数ヶ月前まで夢を見ることが多かった。

どちらかというと、あまり良いとは思えない夢である確率は高かったのだが。

 

今思い返すとあの頃の自分が色々あったのだと思う。

後悔、現状・将来への不安、それらによるストレスが主な原因だったんじゃないかと今なら考えられるが、当時の自分は悪夢を見る理由や原因に想像なんてつかなかった。

 

いや、もしかすると想像はついていたかもしれない。

けれどそんな事実を受け止めきれず、目を逸らし続けていたのかもしれない。

問題から逃げ続けていたのだと思う。

 

今はやるべきことをやり始め、少しずつ前に進んで行こうと努力しているからか悪夢どころか夢すら見ることなく寝ることが増えてきたが。

 

理想の夢も、睡眠時の夢も、見るべきものでは無いのかもしれない。

そんな些細なことでも、自分に負担を与えていたりするのだから。

 

 

小学生の頃はきっと普通に恋愛をして、なりたい職に就けて、20代には結婚して…なんて夢を見ていたと思う。

あの頃は純粋だったから、そんな夢を語れたんだろうなと思うと少し悲しくなってしまう。

現実を知り、現実の闇を知り、そんな夢など昔から努力していないと叶えるのは難しいと。

 

小さい頃に「将来の自分に手紙を書いてみましょう!」なんてあったが、その時の自分が今の自分を見たらどう思うか。

絶対に引いてしまうな、ショックを受けてしまうな、という人生を送ってしまった。

本当に愚かで、悲しいものだ。

 

なるようになれ、でもう解決出来ないのだ。

それが出来たらどんなに苦しまず、生きていくことが出来たか。

正直自分の今の今までの人生は、本当に参考にして欲しくないことがたくさんある。

きっとこれからも増えていってしまう。

今が楽しければそれでいいのかもしれないけれど、もう少し考えるべきな気もしてしまった。

 

遊べるうちに遊んでおくべきなのはまぁ分かるが。

 

 

 

 

現実を知る度に、生きづらい世の中だな、と再確認させられる。