最近、もう疲れた、死んでしまいと思うことが増えた。
周りに迷惑がかからないよう自分が抱えている全てが解決したら死んでしまおうか、なんて考えてしまう。
とくに何が不満とか何に対して疲れたとか、それすらもよく分からない。
生きること自体に対して疲れたのかもしれない。
でも、いざ死ぬとなったとして自分は死ぬことが出来るのだろうか?
否、無理である。どうしても死への恐怖が存在してしまうからだ。
この恐怖が無くなった時には本当に本当に限界でどうしようもない時なのだと思う。
今まで自殺した人はそういう感情を抱えながら死んでしまったと思うと自分まで少ししんどくなってしまう。
当人は他人が自分の限界の感情を勝手にはかるななんて考えているかもしれないが。
自殺出来ない理由は死への恐怖だけじゃなく、家族や友人、周りの人間を悲しませたくないからでもある。
とくに家族なんかは自分たちが苦しみに気付けなかったせいで、と苦しめてしまうだろう。
自分は家族が苦しむ姿が一番見たくは無い。
それにここで死ななかったことで得られる幸せが将来には存在するかもしれない。
死ななくて正解だと思えるかもしれない。
自分はそんなあるかも分からない希望のために、今が辛くても生きているのだろうか?
こういう感じに精神がどうにもならない時期が毎年ある自分には嫌気がさす。
だからこそここの名前は「情緒不安定」なんていう名のだが、本当に情緒不安定だけなのか。
メンクリとか行ってみようかなぁ。