夢の中に出てくる彼は、自分が喜ぶことを言ってくる。
そんなこと現実で思ってたか知らないし、
もう会えるわけでもないのに。
夢の中に出てくる彼は、自分が喜ぶことを言ってくる。
そんなこと現実で思ってたか知らないし、
もう会えるわけでもないのに。
ふとたまに考えてしまう死という存在。
あまりにも身近な人が死なない限り、なんだか非現実的なものにも思えてしまうけど、実際全くそんなことなどなくて、むしろいつでも起こりうるある意味最悪の存在。
でも人含めどんな生き物も、この死という存在にいずれ巡り会うことになる。
いくら考えても幸せな未来など見えない、絶望しか残されていないシナリオのようなもの。
周りの何かが、誰かが死んでしまっても、残された者たちはその悲しみを乗り越えて突き進まなくてはならない。
あまりに哀れで残酷な、そんな人生。
夢。
夢はその日印象に強く残っていることとか、期待や不満を表すとかなんとか。
そんな夢は「あの頃は良かった」な時の日常風景や、そんな時の「無かった出来事」や「IF」までいとも容易く生成してしまう。
今日はどんな夢を見た?
そう聞かれた時、すぐに答えることが出来る人間か。それも正確に。
自分は高確率で正確に覚えている人間だ。
あまりにも鮮明に覚えていすぎて文字に残したこともあるほど。
自分は覚えられていることを有難いと思ったことが何度かあったが、最近は良くも悪くもだなと思う。
理由は
「忘れていたかったことも思い出すため」
「現実との区別がつきづらくなるため」
そして
「忘れていた幸せを思い出し、縋りたくなってしまうため」
こう書くとどれも悪いように見えてしまうが、個人的には最後は良い事だと思う。
いや、自分の選択が違っていれば辿り着いたかもしれない「IF」の人生。
ただ、夢で見ていなければ思い出せなかった幸せな日々。
今回はそんな日を軽く書き残す。
まだそれは中学生だった頃。
小学五年生からオタクになりかけていた自分はがっつり陰キャオタクへと成長していた。
陰キャオタクへ成長してしまった自分は今よりは友達は居たけれど、陽キャな人間には近付けなかったと思う。
ただそんな中、陰キャオタクになっていても仲良くしてくれていた友達も人脈もある友人がいた。
その人は小学六年生の頃、ちょっとしたきっかけで仲良くなった。
雑に言えば相手がちょっかいをかけてきて、それに突っ込むみたいな。
そんなことを続けていたかつ相手が異性だったということもあって、「好きなの?」とかそんなことを聞かれたこともあった。好きだったが。
まぁそんな片思いの状態で小学校を卒業した。
多分その後の流れも想像できるだろうが、陰キャオタクの自分に対し中学の3年間も同様な扱いをしてきたその相手に、最近とても感動してしまった。
陰キャオタクになってしまった自分に対して、今までの状態を何一つ崩さず接してくれていたこと。
これって結構凄いなって、学生ではなくなってから気付く。
学校ってなぜか知らないうちに、「陽キャと陰キャ」「男と女」でグループになりがちである。(もちろん陰陽男女合体グループだって存在するが。)
ただたまに「どこにも属せるレアキャラ」みたいな人間が存在する。
多分あの人もこんな感じで、しかも相手が変わってしまっても今まで通りの態度で接してくれるとんでもないレアキャラだったのでは、と。
高校は別だったからその後どうなったのかは知らないが、夢に出て来られる度その優しさを思い出し、恋心が復活してしまう。
自分が夢を覚えているからこそのありがたみ。
そして呪い。
暑い。
もう夏なのか。
午後6時。
昼寝というには遅い時間だがあまりの睡魔に勝てそうにはなかったので、昼寝のルーティンとも言えるようになってしまった周防パトラのASMRを聞きながら目を瞑る。
午後7時過ぎ。
目が覚める。しかしまだ眠かったので再度目を瞑る。
1度寝たからか少し暑くて、寝づらいと感じていたがそれでもまた眠りにつく。
夢。
専門時代の夢を見た。
出てくる人物は復帰したソシャゲのキャラクターであったが、光景が、というよりは夢の中の自身の感情が全く同じであった。
自分は専門学校を中退した。
それは周りに圧倒されていたのか、それとも自分の好きなことであったものが苦痛に変わるのが嫌だったからなのか、正直自分自身でもよく分かっていない部分がある。
多分、どちらも正解ではあるのだろうけど。
時期としては2年生の春。
自分はあまり友人が多い方ではなくて、その友人と休日に遊ぶということもとくになった。
その頃はソシャゲにハマっていて(夢のものとはまた違うものだが)、そこで知り合い、仲良くなった人たちとオフで会って遊ぶということが多かった。
身近に友人が居ることは居るが、なんというか学校の付き合いみたいな感じではあったかもしれないと今では考えてしまう。
だからこそ普段から他人とどこかに出かけて遊ぶ、ということも少なく、家に帰ってはオンライン上の友人と通話しながらゲームしてというのが日常茶飯事だったのだ。
そう考えると友人関係で問題もあるなと思う。
別に悪くはなかったけれど、オンラインの友人を優先していたから学校の友人とは段々疎遠になってしまった。
登下校に時間がかかるゆえに、朝早く起きなくてはならなかったが、自分は朝が弱かったのでそこも少し嫌ではあったんだと思う。
だからこそよく遅刻したり、サボったり。そんなことが多かった。
いやまぁ、そんな人間だから友人も離れるんだろうとつくづく思えるのだが。
他にも色々あって、自分は中退してしまった。
自分としては好きなことが嫌いになる前に離れられて良かったとは思っていたし後悔は無いと思っていたが、よくよく考えると将来に繋がる部分がなかなかにしんどくて。
どこかしらで後悔している自分もいるのだろう。
そうじゃなければ夢で見ることなんて無いわけだし、そんな夢を見て泣きながら起きることなんてないだろう。
誰かが将来に向けて努力している中で、自分は何も努力をしていない。
何もしてないというわけでもないが、学生でも退職した社会人でもない自分が何か職に就くためにすることはなんなのか。
そんなこと調べれば分かることではあるが、どうしても分からなくなってしまう。
過去に逃げた自分が、また何かを頑張って続けることが出来るのか?
資格やら技術の話で言ったら、専門に近い分野に就くことになるだろうに、それはまた逃げる展開が待っているのではないか?
何かしないと、とは思っているのに何も出来ない。
子供の頃に何となく描いていた将来設計というのは、本当の本当に夢なのかもしれない。
そんなことを考えてしまう、21歳最後の夕方だった。
忙しいことは有難いことなのかもしれないが、
体を休ませることが好きな自分にとっては不自由さと苦痛にしか感じられない。
かといって何もすることが無ければ
それもそれで自分にとっては苦痛であるし、
何より誰かが努力している中で自分だけ何もしていないという
罪悪感に苛まれるものがある。
しかし、それでも堕落を求めてしまうのは
自分がそういう人間だからなのだろうか。