夢。
夢はその日印象に強く残っていることとか、期待や不満を表すとかなんとか。
そんな夢は「あの頃は良かった」な時の日常風景や、そんな時の「無かった出来事」や「IF」までいとも容易く生成してしまう。
今日はどんな夢を見た?
そう聞かれた時、すぐに答えることが出来る人間か。それも正確に。
自分は高確率で正確に覚えている人間だ。
あまりにも鮮明に覚えていすぎて文字に残したこともあるほど。
自分は覚えられていることを有難いと思ったことが何度かあったが、最近は良くも悪くもだなと思う。
理由は
「忘れていたかったことも思い出すため」
「現実との区別がつきづらくなるため」
そして
「忘れていた幸せを思い出し、縋りたくなってしまうため」
こう書くとどれも悪いように見えてしまうが、個人的には最後は良い事だと思う。
いや、自分の選択が違っていれば辿り着いたかもしれない「IF」の人生。
ただ、夢で見ていなければ思い出せなかった幸せな日々。
今回はそんな日を軽く書き残す。
まだそれは中学生だった頃。
小学五年生からオタクになりかけていた自分はがっつり陰キャオタクへと成長していた。
陰キャオタクへ成長してしまった自分は今よりは友達は居たけれど、陽キャな人間には近付けなかったと思う。
ただそんな中、陰キャオタクになっていても仲良くしてくれていた友達も人脈もある友人がいた。
その人は小学六年生の頃、ちょっとしたきっかけで仲良くなった。
雑に言えば相手がちょっかいをかけてきて、それに突っ込むみたいな。
そんなことを続けていたかつ相手が異性だったということもあって、「好きなの?」とかそんなことを聞かれたこともあった。好きだったが。
まぁそんな片思いの状態で小学校を卒業した。
多分その後の流れも想像できるだろうが、陰キャオタクの自分に対し中学の3年間も同様な扱いをしてきたその相手に、最近とても感動してしまった。
陰キャオタクになってしまった自分に対して、今までの状態を何一つ崩さず接してくれていたこと。
これって結構凄いなって、学生ではなくなってから気付く。
学校ってなぜか知らないうちに、「陽キャと陰キャ」「男と女」でグループになりがちである。(もちろん陰陽男女合体グループだって存在するが。)
ただたまに「どこにも属せるレアキャラ」みたいな人間が存在する。
多分あの人もこんな感じで、しかも相手が変わってしまっても今まで通りの態度で接してくれるとんでもないレアキャラだったのでは、と。
高校は別だったからその後どうなったのかは知らないが、夢に出て来られる度その優しさを思い出し、恋心が復活してしまう。
自分が夢を覚えているからこそのありがたみ。
そして呪い。