気付いたら9月になっていた。
この前は気付いたら夏になっていたのにもう9月に…という気持ちにしかならなかった。
今年は何かしたかな、と考え直しても何も出てこない。
8割以上新型コロナウイルスのせいとも言えるけれど、それでも何もしなさすぎた。
強いて言えば料理をする時間だけは増えた。
とはいえまだ今年は終わっていないので、残りの時間は有意義に使いたいところだ。
8月になった。
暑い、暑すぎる。なんだこれは。
干からびる日もそう遠くはなさそうだ。
自分にとって大事な人の愛犬が死んだ。
自分はここの家族でもないので詳細は省く。それが礼儀だと信じて。
その人からしたら、話を聞いてくれるだけで充分ありがたい存在であったのだろうが、
自分としては気の利いた言葉も何も言えなかったし、そばにいて慰めることすら出来なかったのが辛いのだ。
大事な人であるから余計に。
その愛犬は自分もだが母親がかなり気に入っており、画像や動画もよく送って貰っていた。
だからこそ、そのお返しとしてそういう時に何かしてあげたかったのだ。
ただどうしても、そういう時ほど気の利いた言葉というのは出てこないのだ。
知っているとはいえ自分は部外者なのだから、余計なことを言ってしまって追い討ちをかけるように傷つけてしまうのが怖いのだ。
だから、何も出来なかった。
そばにいれば、もう少し何か出来たのだろう。
己の無力さを、実感した。
今年は何もかもがめちゃくちゃだな。
正月にはインフルにかかり初詣にも行けず、
コロナが流行り今もなお満足に遊びに行けず、
もう8月になるっていうのに雨は降り続け。
多分この先も色々出来なくなることがあるんだろう。
今年は神様が厄年なのか?
とある芸能人のことがあってこれを書いているわけじゃないけれど、
人間だろうがそうじゃなかろうが、死ぬ時や弱る時は結構急だったりする。
これは自分の経験談も含めて言っている。
元気だったのに突然、なんてことはよくあるのだ。
人間だったらまだ意思疎通が可能だが、動物とは喋ることが出来ない。
動物の言葉を理解して代弁する人もいるけれど、自分はあまり信用していない。
正直意思疎通出来ることに羨ましさがあるから信用したくないだけなのかもしれない。
どちらにせよ、他人の死っていうのは恐ろしくて悲しい。
自分の周りはいつまでも元気でいて欲しいとは思ってしまうが、これはどう足掻いても不可能なことで。
でも元気であればあるほど、弱った姿を見るのは苦しいものだ。
人間は自分の死と隣り合わせで、他人の死は身近にある生き物だ。
その恐怖と一生付き合って生きていかなければならない。
だからこそどんなことがあろうが、簡単に本気で死ねと言ってはならないんだと改めて肝に銘じていきたい。
相手が年下なら自分は年上らしく大人の対応を取らなきゃならない(あれこれ考える前に怒ってはならない、冷静でなければならない等)
と思う反面、そこそこ信頼してる人にはわがままな面が出てしまうので気をつけなければならないと思う。
親しき仲にも礼儀あり、それに限るのだ。
信頼しているからこそ油断していて、少し言い過ぎてしまったということが多々ある。
それが相手との信頼関係を崩してしまう要因であることも理解している。
まだ謝罪できる人間だから良かったものの、これが謝罪も感謝も出来ない人間であったらと考えると少しゾッとする。
そういう人間に、自分はなりたくない。