情緒不安定

日記?

とある芸能人のことがあってこれを書いているわけじゃないけれど、

人間だろうがそうじゃなかろうが、死ぬ時や弱る時は結構急だったりする。

 

これは自分の経験談も含めて言っている。

元気だったのに突然、なんてことはよくあるのだ。

人間だったらまだ意思疎通が可能だが、動物とは喋ることが出来ない。

動物の言葉を理解して代弁する人もいるけれど、自分はあまり信用していない。

正直意思疎通出来ることに羨ましさがあるから信用したくないだけなのかもしれない。

どちらにせよ、他人の死っていうのは恐ろしくて悲しい。

自分の周りはいつまでも元気でいて欲しいとは思ってしまうが、これはどう足掻いても不可能なことで。

でも元気であればあるほど、弱った姿を見るのは苦しいものだ。

 

人間は自分の死と隣り合わせで、他人の死は身近にある生き物だ。

その恐怖と一生付き合って生きていかなければならない。

 

だからこそどんなことがあろうが、簡単に本気で死ねと言ってはならないんだと改めて肝に銘じていきたい。

‪相手が年下なら自分は年上らしく大人の対応を取らなきゃならない(あれこれ考える前に怒ってはならない、冷静でなければならない等)

と思う反面、そこそこ信頼してる人にはわがままな面が出てしまうので気をつけなければならないと思う。‬

親しき仲にも礼儀あり、それに限るのだ。

信頼しているからこそ油断していて、少し言い過ぎてしまったということが多々ある。

それが相手との信頼関係を崩してしまう要因であることも理解している。

まだ謝罪できる人間だから良かったものの、これが謝罪も感謝も出来ない人間であったらと考えると少しゾッとする。

 

そういう人間に、自分はなりたくない。

自分は相当な心配性だから仕方の無いことなのかもしれない。

 

自分が心配性ということは把握しているけれど、自己犠牲な性格でもあるから人よりも自分自身にストレスを与えている、と考えている。

そりゃもちろんのことだけれど、やっぱり自分自身のことで不安になることも多々あるが、他人を心配していることの方が多い気がする。

仲のいい友人に限り、ではあるが。

 

自分も幸せになりたい願望はあるけれど、どうしても他人の幸せを願ってしまう。

他人が幸せならそれでいい、と満足してしまう。

 

 

これは初めての記事にまとめていたものだったけど、そこに収めておくのはどうなのかと思って再度掲載することにした。

6/19、はてなブログを開設してから4年経っていたらしい。

1人の人を追うため、というか購読するためにアカウントを作成したのだが、もう4年も経っていたのか。

未だにその人はまだ更新してくれているし(元から不定期ではあるが)、自分もタラタラと思いを書き残すことが出来たので、アカウントを作成したことに後悔はない。

そのうち自分が見返して、「こんなことを考えていたのか。恥ずかしい。」と感じていそうではあるが、人間根本は変わらないので歳をとった自分も分かるなぁと共感してしまう部分は少なくとも存在するだろう。

 

4年…もう4年なのか。

時が経つのは本当に早い。

ふとたまに、タバコを吸いたくなる。

喫煙者の中にはきっとこういうタイプの人は他にもいるだろう。

自分は窓辺で吸ってしまうので消臭剤が欠かせないのだが、消臭剤があろうが臭いがついてしまうことには変わりは無さそうだし、ガムとかそういうもので我慢しないとなぁとも思う。

これが自分の弱さなのか。